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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:55 万感の思いの朝日新聞瀋陽支局 「2006年74歳」

2018/05/06
 
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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:55 万感の思いの朝日新聞瀋陽支局 「2006年74歳」

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85歳の母親が書く、満州引揚者の半生

・母親が出版した「縁と運」の概略

 (2013/8/1 初版)

 朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。

 本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。

・この本の問い合わせ

絶版につき受付終了

この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。

連絡先(090・6613・4068)へ。

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55 万感の思いの朝日新聞瀋陽支局 「2006年74歳」

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3月14日の朝日新聞朝刊を見て驚きました。

中国遼寧省に15日付で「瀋陽支局を開設」というお知らせがあったからです。

瀋陽は私が、3歳から10年暮らした地です。

終戦の翌年に引き揚げました。

奉天、とつい言ってしまうのですが、との辺りに開設されたのでしょう。

私の記憶では、「奉天警察署」が左角にある十字路を右へ曲ると、「千代田小学校」があり、更に行けば、私が6年間学んだ「平安小学校」でした。

警察署の十字路を左折をすると現在「中国医大」があり、その外堀の真ん中付近がわが家でした。

引き上げ後3度目の家さがしで、ついに見つけました。

私と同じ年格好の女性と家族が住んでおられ、友達になりました。

終戦の年に入学した「朝日女学校」は、敗戦後、八路軍に占拠され、通学できなくなりました。

しかし翌年一月、授業を続けていた「浪速女学校」へ行き、先生から「歓喜の歌」を習いました。

この時から、35年後の暮れ、「安城市第九をうたう会」に参加し、生きている喜びを歌いました。

第二のふるさと、瀋陽、朝日新聞社旗が翻ると知って、万感の思いです。

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