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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:18 島田療育園との出会い「1987年55歳」

2018/04/10
 
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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:18 島田療育園との出会い「1987年55歳」

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85歳の母親が書く、満州引揚者の半生

・母親が出版した「縁と運」の概略

(2013/8/1 初版)

朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。

本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。

・この本の問い合わせ

絶版につき受付終了

この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。

連絡先(090・6613・4068)へ。

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18 島田療育園との出会い「1987年55歳」

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人は、年代が変わるときは、気持ちを新たにすると思う。

私自身も、30になった時、にわかに世間の出来事に関心を持つようになり、そしてであったのが多摩市の島田療育園だった。

昭和35、6年。

その頃の島田療育園は重症心身障害者の施設なのに、社会復帰の可能性がない、という理由で公費の補助は乏しかった。

それゆえに「おしめがたくさん必要です。送ってください」と全国に訴えていた。

そのころから私のおしめづくりが始まり、皆さんにも呼びかけた。

しかし、10年ぐらい続いた時、なんとなく気力がなくなって、一度現状を見てこよう、と島田療育園を訪ねたことがある。

そして、重い障害にもめげず必死に生きている子供たち、限りない愛で療育に当たる人たちをみて、私は目覚めた。

それからはもう迷わず、休まず、大勢の方たちの協力を得ておしめ作りを続けてきた。

荷づくりをして送るのは年1回だが、今年は久しぶりに島田療育園を訪ねた。

あれから14、5年たった現在は、国からの援助もあり、部屋いっぱいに日が当たる病棟がいくつもできあがっていた。

実は、今年どうしても島田へ行きたかったのは、絵はがきのこと。

子どもたちがペンを足の指にはさんだり、口にくわえたりして描いた絵はがきは、8枚一組200円。

売上金は療育園後援会の基金になる。

うちはお店だから、目にとめてもらうことも多いかと、ケースに並べてお客様の協力をお待ちしている。

それにしても、東京郊外にある園へはなかなか行かれないが、私は東京にお墓参りのついでがあるので、足をのばす。

これもなき親たちによってむすばれているのかと、という思いがしてならない。

以下、修正要

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