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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:02 中国の旅に複雑な思い

2018/04/04
 
この記事を書いている人 - WRITER -
*会社職務経歴  ・本店・安全・品質部長(2年)  ・ラインマン(送電線建設・保守)(30年)  ・情報システム(3年)

Contents

満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:02 中国の旅に複雑な思い

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85歳の母親が書く、満州引揚者の半生

・母親が出版した「縁と運」の概略

 2013/8/1 初版
朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。

 本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。
本の題名は、読者がこの本に出会であろう「縁」と、読んでみようとページを開いてくれる「運」から命名した。

・母親の略歴

 東京で生まれた。
父が大型バイク「ハーレーダビッドソン」社の奉天(現・瀋陽)支店長だった。
このため3歳から一家で奉天へ移り住んだ。

 戦後、14歳で旧満州から引き揚げ、16歳で結婚し、手作りで焼いたパン店を開業。

・この本の問い合わせ

絶版につき受付終了

この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。
連絡先(090・6613・4068)へ。


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02 中国の旅に複雑な思い「1980年48歳」

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この頃、にわかに中国が近くなって、先日も、問屋さんの招待旅行で行ってきた、という人がありました。

短い旅では、ほんのつま先が触れたほどでしょう。

それでも「中国へ行ってきたが、あまり面白くなかった」と聞くと、私はなぜか切ない気持になります。

また、新聞の観光案内に東北地方(旧満州)を汽車で旅行するならこのように、

などと書かれていると「ああ、あの思いで多いわがふるさとも、観光地とされてしまったか」と、

なにかいたたまれない思いがします。

私も昨秋、夫と団体旅行で中国に行きました。

確かに大連―瀋陽を走る火車(汽車)は座席が外人ように軟席、そうでないのが硬席と区別されています。

故宮を参観すると、通訳の娘さんは「昔の残虐は、すべて歴史のなせること」ととりなしてくれます。

しかし35年前のあのころ、どんな状態だったのを知らずに、今、かの地を物見遊山の気分で訪れてほしくない。

せめて今しばらくは。

どうしてこんな気持になるのか自分でもわかりません。

東京駅をそのままに、といわれる奉天駅は「沈「こざとへん」に「日」站」

(英語:Shenyang Railway Station)と文字が変わっただけで昔のままでした。

満州医大は中国医大と表札が書き換えられただけ。

6年間学んだ平安小学校は 35年たった今、中学校になっていました。

私は、今はもう民家が建ち並んだわが家の家のあたりを、写真の中の亡き両親に見せて「さあ、これで思い残すことはないから、もう再び来ることはないだろう、と思いながら別れてきたわが故郷、いつまでもそのままであってほしい。

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