満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:42 もっと韓日の交流を 「2000年68歳」
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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:42 もっと韓日の交流を 「2000年68歳」
85歳の母親が書く、満州引揚者の半生
・母親が出版した「縁と運」の概略
(2013/8/1 初版)
朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。
本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。
・この本の問い合わせ
絶版につき受付終了
この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。
連絡先(090・6613・4068)へ。
42 もっと韓日の交流を 「2000年68歳」
韓日文化交流元年を記念し、韓国・ソウルの世宗(セジョン)ホールで開催された交流際に、仲間と共に 3月29日、マジックで出演しました。
公演時間の調整のため、景福宮を参観していた時、私と同じ年ごろの韓国の女性に呼び止められ、「お正月に歌う歌を知っていますか」と問われました。
一瞬、なんだったけ、と思いましたが、すぐ「年のはじめのためしとて」と、歌詞が出てきました。
彼女も一緒に歌いましたが、次の文句は出てこない。
「終わりなき世のめでたさを」と、私がつまれば彼女が歌い次、「松竹立てて門ごとに」と、彼女の声が途切れると、私が補い、「祝う今日こそ楽しけれ」と歌い終わるころ、涙を隠すように、彼女は手を振って足早に去って行きました。
さて、いよいよ本番。
私は韓国文化交流元年の意義を込めて、韓国と日本それぞれの国旗を手作りして別々に透明の筒に入れ、さらに紅白のシルクを詰め、上に向けて大きく息を吹き込むと、両国の旗は見事に結び合って舞い降りて来ました。
私は、両手で受け止め、高くあげました。
大きな拍手が、いまも、心に残っています。
帰国の朝、ホテルの近くを散歩し、ひと目で気に入ったセーターを夫に買いました。
年老いた店のあるじの、巧みな日本をほめると「国民学校二年生まで日本の教育を受けた」と話してくれました。
過去にいろいろなことがあったでしょうが、韓国と日本は、こんなに近いものですもの、心を開いて仲良くしなければ、と強く思ったソウルの四日間でした。