満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:23 演奏会を支えた『ハトの会』(エルンスト・ザイラーさんを迎えて)「1988年56歳」
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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:23 演奏会を支えた『ハトの会』(エルンスト・ザイラーさんを迎えて)「1988年56歳」
85歳の母親が書く、満州引揚者の半生
・母親が出版した「縁と運」の概略
(2013/8/1 初版)
朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。
本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。
・この本の問い合わせ
絶版につき受付終了
この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。
連絡先(090・6613・4068)へ。
23 演奏会を支えた『ハトの会』「1988年56歳」
「どうぞ安城に来て下さい」と、ピアニストのエルンスト・ザイラーさん(54歳)、和子さ(36歳)夫婦にお願いしたのは私でしたが、10月22日安城市文化センターでの「ザイラー・ピアノデュオ・チャリティーコンサート」を成功させたのは多くのボランティアの人たちです。
実は、この「ボランティア」という言葉は私はあまり好きではありません。
なぜかというと、「ボランティア」の本当の意味が自分自身にわかっていないからです。
けれども、今回いろいろなグループの人たちと行動を共にしてみて、多くの感動を体験しました。
盲導犬の頭をなでながら、「ワンちゃんにピアノ聴いてもらったのは初めて」と、ザイラー和子さんを喜ばせた「あいの会」の「あい」は、目のアイと、心の愛。
「きつつき会」には、点字のパンフレットを作ってもらいました。
「あしのうら」は。車いすの仲間たち。
車椅子の加藤君は、ワープロでアンケートの原稿を書いてくれました。
25、6人もの子どもを預かった、「手をつなぐ親の会」は、保母さんたちが紙芝居などをしてお守りをしてくれました。
身障の子と献上の子が共に自立を目指してがんばる「ハトの家」の伸ちゃんは、コンサートの前日から胸をときめかせていたそうですが、立派に花束贈呈の役を果たしました。
こうして手作りコンサートをつくりあげた、スタッフの集まりを「ハトの会」と名付けました。
準備の期間、わずか二日間で500が満席になったことで、ともすればおごりがちな私を、初心に戻してくれたのは、このスタッフの人たちの熱心な姿でした。
お陰で大過なくコンサートを終えることができました。
そして、ボランティアとは「何かしてあげるのではなく、共に歩くことなのだ」ということがわかったように思います。
京都へ帰られるザイラー夫妻を、三河安城駅までお見送りに行き、お別れ間際にザイラーさんが言われた「来年また、楽しみに来ますよ」の言葉は、私たちを元気づけ、疲れも吹き飛ぶ思いでした。
注釈:ピアニストのエルンスト・ザイラーさん
・ドイツ出身のピアノ奏者
・ミュンヘンの生まれ。
・ケルン音楽大学を経てジュリアード音楽院で研鑽を積み、1959年にコロニー・クラブ国際ピアノ・コンクールで優勝を果たした。
・1961年に来日し、1967年まで神戸女学院大学や京都市立音楽短期大学などで教鞭をとる。
・1968年から1972年までモーツァルテウム音楽院でも教鞭をとり、1973年にピアニストの正田和子と結婚してデュオでの活動を行うようになった。
・1989年から京都で禅寺を移築した「かやぶき音楽堂」を本拠とするようになり、1998年からその音楽堂で国際ピアノ・デュオ・コンクールを開くようになった。
・2012年には夫妻で京都府文化賞功労賞を受賞している。
・京都市左京区の病院で急性骨髄性白血病のため死去。