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86歳の母親が書く、満州引揚者の半生「縁と運」「目次」「はじめに」

2024/05/07
 
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*会社職務経歴  ・本店・安全・品質部長(2年)  ・ラインマン(送電線建設・保守)(30年)  ・情報システム(3年)

Contents

86歳の母親が書く、満州引揚者の半生「縁と運」「目次」「はじめに」

・母親が出版した「縁と運」の概略 2013/8/1 初版

朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。

本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。

本の題名は、読者がこの本に出会であろう「縁」と、読んでみようとページを開いてくれる「運」から命名した。

 

・母親の略歴

東京で生まれた。

父が大型バイク「ハーレーダビッドソン」社の奉天(現・瀋陽)支店長だった。

このため3歳から一家で奉天へ移り住んだ。

林恭子は書くことが好きで、小学校での「つづり方(作文)」は1番の成績だった。

戦後、14歳で旧満州から引き揚げ、16歳で結婚し、手作りで焼いたパン店を開業。

30代に、自前で勉強し、英検2級に合格した。

37歳で通信制のNHK学園高校を卒業した。

47歳の冬に朝日新聞の読者投稿欄「ひととき」に投稿したのが初めて掲載された。

初投稿で採用されたのは、1979年12月22日であった。

初投稿は「私の『よろこびのうた』」で、安城市民合唱団で歌った「第九」で流した涙のことを書いた。

この歌は終戦の年、奉天の女学校で先生から口うつしで習った歌だった。

その後、34年間、生きている喜びを精いっぱい歌い上げた。

67歳の時、ニューヨーク・カーネギーホールで15分間のマジックショーをした。

ショーの終了後には英語であいさつが出来た。

 

・母親のボランティア歴

東京都の重症心身障害児施設に手作りの布おしめを贈り続けた

高齢者施設慰問のための手品。

カンボジアに絵本を贈る活動。

67歳の時、ニューヨーク・カーネギーホールで15分間のマジックショーをした。

 

・この本の問い合わせ

絶版につき受付終了

この本は、母親が自費で文芸社から出版した。

この本のブログ化について、文芸社に確認した

「出版してから1年以上経過経過しているので、林恭子の意向であれば良い。」との了解を得た。

この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。

連絡先(090・6613・4068)へ。

 

「縁と運」はじめに 林恭子

はじめに

わたくし、1932年生まれ。

小学校の頃から、綴り方が好きだった気がします。

14歳の時、戦争が終わって満州から引き揚げてきたので、いっそう書くことがいっぱいありました。

16歳で結婚しましたので、さらにいっぱいになりました。

いまふり返ってみますと、書くことで悲しみは癒され、喜びは倍になったような気がします。

こうして書きとめた話、読み返してみると、いつも途中で止められなくて、おしまいまで読んでしまいます。

しかしおしまいといっても、それ終了ではなく、私が生きてるうちは、綴っていくことだろうと思います。

が、この度、80歳になったところで一旦、区切って一冊の本にしました。

他人のことですから、ひとりよがりで面白くない話しもあろうかともいます。

そのときは飛ばしてくださってもかまいませんので、まずは読みはじめていただけませんか。

本の名前は『縁と運』にいたしました。

その意味は、この本に出会って下さった縁の「縁」と、読んでみようかと、頁を開いていただけた「運」です。

「縁」と、「運」どちらも「ん」がつく、なにか力強い感じがしてなりません。

 

『縁と運』 ==目次==

1 私の「よろこびのうた」 「1979年47歳」

2 中国の旅に複雑な思い 「1980年48歳」

3 「善意」と「偽善」の間(はざま)で 「1981年49歳」

4 車に乗って30年 「1981年49歳」

5 うれしい「30人の握手」 「1982年50歳」

6 自作朗読の「声の物語」 「1983年50歳」

7 それでも消えぬ重税感 「1983年51歳」

8 おしめづくり中止の思い 「1984年51歳」

9 実り豊かな中国語講座 「1984年52歳」

10 母国恋う心は人の本能 「1985年52歳」

11 変革が難しい派手な披露宴 「1985年52歳」

12 わが店はホチキス追放 「1985年52歳」

13 善意を集める有線放送 「1985年53歳」

14 楽しみな姉妹都市訪問 「1986年53歳」

15 心もうららかな春二題 「1986年53歳」

16 日曜の歩け運動20年 「1986年54歳」

17 「残留孤児」という呼び名はやめたい 「1987年55歳」

18 島田療育園との出会い 「1987年55歳」

19 ご老人慰問の手品修業 「1987年55歳」

20 ひげのないサンタさん 「1987年55歳」

21 客と楽しむ鉄道唱歌 「1988年56歳」

22 わが家にツバメのお宿 「1988年56歳」

23 演奏会を支えた『ハトの会』(エルンスト・ザイラーさんを迎えて) 「1988年56歳」

24 ツバメのお宿は失格か 「1989年56歳」

25 闘病生活に心弾む音楽会 「1989年57歳」

26 ケンチャンサンタ活躍 「1989年57歳」

27 40年目の失敗に猛暑 「1990年58歳」

28 ツバメの宿、3年ぶり 「1991年59歳」

29 還暦の元日マラソン 「1992年60歳」

30 思わぬ再開に抱き合い喜び 「1992年60歳」

31 「わが家の一品」に思う 「1993年61歳」

32 伊の国旗買い、ローマで手品 「1993年61歳」

33 カンボジアに絵本を 「1995年63歳」

34 「朝日歌壇」にあこがれの人 「1996年64歳」

35 布おしめ通し、ぬも贈る 「1996年64歳」

36 全長58mの鉄道唱歌 「1997年65歳」

37 ツバメのお宿は失格に 「1998年65歳」

38 慈善ショーで米の大舞台に 「1998年66歳」

39 一日だらだら人間 「1999年67歳」

40 ツバメのお宿、巣立ちを観察 「1999年67歳」

41 無事故46年は、天の采配か 「1999年67歳」

42 もっと韓日の交流を 「2000年68歳」

43 返事だと思う郷さんの作品 「2002年70歳」

44 手紙応募がご縁、黒岩さんを悼む 「2002年70歳」

45 第二の人生へ金婚の夫と語る 「1999年67歳」

46 お帰りなさいうちのツバメ 「2002年70歳」

47 やさしい孫娘に幸せいっぱい 「2003年71歳」

48 布おしめ作り42年続く理由 「2004年72歳」

49 二人がかりでマジック披露 「2004年72歳」

50 モミジプロジェクトでロンドンへ 「2003年71歳」

51 観客は私だけ映画館の感動 「2004年72歳」

52 英検2級の力海外で花咲く 「2005年73歳」

53 マイブックが米シアトルで 「2005年73歳」

54 私の話伝えた小学生に感謝 「2005年73歳」

55 万感の思いの朝日新聞瀋陽支局 「2006年74歳」

56 友好の懸け橋桜を植樹 「2006年74歳」

57 引き揚げ60年、感謝に生きる 「2006年74歳」

58 私の手品に感動した中国の人 「2006年74歳」

59 元日マラソン皆出席は一人 「2007年75歳」

60 「母への手紙」14年後にみる 「2007年75歳」

61 読めても書けない字 「2007年75歳」

62 「一口残」の心やっと知った 「2007年75歳」

63 なんでもやってみよう 「2007年75歳」

64 秋の夜の昔話 「2007年75歳」

65 ペルー人の結婚式に招かれて 「2007年75歳」

66 投稿を綴れば日記代わりに 「2008年76歳」

67 夫婦で続ける慰問二十年目に 「2008年76歳」

68 卒業式の日に祝賀マジック 「2009年77歳」

69 手品教室 「2012年80歳」

70 NHK学園高校卒業生はいま 「2012年80歳」

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