86歳の母親が書く、満州引揚者の半生「縁と運」「目次」「はじめに」
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86歳の母親が書く、満州引揚者の半生「縁と運」「目次」「はじめに」
・母親が出版した「縁と運」の概略 2013/8/1 初版
朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。
本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。
本の題名は、読者がこの本に出会であろう「縁」と、読んでみようとページを開いてくれる「運」から命名した。
・母親の略歴
東京で生まれた。
父が大型バイク「ハーレーダビッドソン」社の奉天(現・瀋陽)支店長だった。
このため3歳から一家で奉天へ移り住んだ。
林恭子は書くことが好きで、小学校での「つづり方(作文)」は1番の成績だった。
戦後、14歳で旧満州から引き揚げ、16歳で結婚し、手作りで焼いたパン店を開業。
30代に、自前で勉強し、英検2級に合格した。
37歳で通信制のNHK学園高校を卒業した。
47歳の冬に朝日新聞の読者投稿欄「ひととき」に投稿したのが初めて掲載された。
初投稿で採用されたのは、1979年12月22日であった。
初投稿は「私の『よろこびのうた』」で、安城市民合唱団で歌った「第九」で流した涙のことを書いた。
この歌は終戦の年、奉天の女学校で先生から口うつしで習った歌だった。
その後、34年間、生きている喜びを精いっぱい歌い上げた。
67歳の時、ニューヨーク・カーネギーホールで15分間のマジックショーをした。
ショーの終了後には英語であいさつが出来た。
・母親のボランティア歴
東京都の重症心身障害児施設に手作りの布おしめを贈り続けた。
高齢者施設慰問のための手品。
カンボジアに絵本を贈る活動。
67歳の時、ニューヨーク・カーネギーホールで15分間のマジックショーをした。
・この本の問い合わせ
絶版につき受付終了
この本は、母親が自費で文芸社から出版した。
この本のブログ化について、文芸社に確認した。
「出版してから1年以上経過経過しているので、林恭子の意向であれば良い。」との了解を得た。
この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。
連絡先(090・6613・4068)へ。
「縁と運」はじめに 林恭子
はじめに
わたくし、1932年生まれ。
小学校の頃から、綴り方が好きだった気がします。
14歳の時、戦争が終わって満州から引き揚げてきたので、いっそう書くことがいっぱいありました。
16歳で結婚しましたので、さらにいっぱいになりました。
いまふり返ってみますと、書くことで悲しみは癒され、喜びは倍になったような気がします。
こうして書きとめた話、読み返してみると、いつも途中で止められなくて、おしまいまで読んでしまいます。
しかしおしまいといっても、それ終了ではなく、私が生きてるうちは、綴っていくことだろうと思います。
が、この度、80歳になったところで一旦、区切って一冊の本にしました。
他人のことですから、ひとりよがりで面白くない話しもあろうかともいます。
そのときは飛ばしてくださってもかまいませんので、まずは読みはじめていただけませんか。
本の名前は『縁と運』にいたしました。
その意味は、この本に出会って下さった縁の「縁」と、読んでみようかと、頁を開いていただけた「運」です。
「縁」と、「運」どちらも「ん」がつく、なにか力強い感じがしてなりません。
『縁と運』 ==目次==
3 「善意」と「偽善」の間(はざま)で 「1981年49歳」
17 「残留孤児」という呼び名はやめたい 「1987年55歳」
23 演奏会を支えた『ハトの会』(エルンスト・ザイラーさんを迎えて) 「1988年56歳」