満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:60 「母への手紙」14年後にみる 「2007年75歳」
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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:60 「母への手紙」14年後にみる 「2007年75歳」
[ad#rec_la]85歳の母親が書く、満州引揚者の半生
・母親が出版した「縁と運」の概略
(2013/8/1 初版)
朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。
本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。
・この本の問い合わせ
絶版につき受付終了
この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。
連絡先(090・6613・4068)へ。
60 「母への手紙」14年後にみる 「2007年75歳」
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二月中旬、安城市婦人会協議会の定期総会が終了した後、アトラクションとして地元に伝わる和太鼓の演奏と、映画『日本一短い母への手紙』の上映があった。
実は、この映画の終わりの字幕の部分に、「あなたの名前が出ている」という話しを聞いてはいたが、見ていないので、ドキドキしながら目を凝らしていると、確かに、私の住所と名前と61歳という文字が読めた。
14年も前に、福井県丸岡長(現坂井市)主催の「一筆啓上賞、日本一短い母への手紙」に、私の作品が佳作入選。
それは「一筆啓上、母上の納骨やめました。骨でもいい、母さんに居てほしい」というものだった。
終戦の年、私は、祖母と両親に妹の5人家族で、旧満州の奉天、現在の瀋陽にいた。
敗戦となるや母は、ソ連兵や八路軍を相手に、路上に着物や帯を並べて売りさばき、そのお金で、食料を買い求めて、シベリアに抑留された父が帰って来るまで、私たちの命をつないでくれた。
そんな母だったがら、40年前に亡くなったが、お骨になっても、私のそばに居てほしかったのです。
追記
平成20年11月20日
結婚60周年 恭子76歳
母上は納骨されず骨のまま
私のそばで叱り励ます
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