満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:02 中国の旅に複雑な思い
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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:02 中国の旅に複雑な思い
85歳の母親が書く、満州引揚者の半生
・母親が出版した「縁と運」の概略
2013/8/1 初版
朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。
本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。
本の題名は、読者がこの本に出会であろう「縁」と、読んでみようとページを開いてくれる「運」から命名した。
・母親の略歴
東京で生まれた。
父が大型バイク「ハーレーダビッドソン」社の奉天(現・瀋陽)支店長だった。
このため3歳から一家で奉天へ移り住んだ。
戦後、14歳で旧満州から引き揚げ、16歳で結婚し、手作りで焼いたパン店を開業。
・この本の問い合わせ
絶版につき受付終了
この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。
連絡先(090・6613・4068)へ。
02 中国の旅に複雑な思い「1980年48歳」
この頃、にわかに中国が近くなって、先日も、問屋さんの招待旅行で行ってきた、という人がありました。
短い旅では、ほんのつま先が触れたほどでしょう。
それでも「中国へ行ってきたが、あまり面白くなかった」と聞くと、私はなぜか切ない気持になります。
また、新聞の観光案内に東北地方(旧満州)を汽車で旅行するならこのように、
などと書かれていると「ああ、あの思いで多いわがふるさとも、観光地とされてしまったか」と、
なにかいたたまれない思いがします。
私も昨秋、夫と団体旅行で中国に行きました。
確かに大連―瀋陽を走る火車(汽車)は座席が外人ように軟席、そうでないのが硬席と区別されています。
故宮を参観すると、通訳の娘さんは「昔の残虐は、すべて歴史のなせること」ととりなしてくれます。
しかし35年前のあのころ、どんな状態だったのを知らずに、今、かの地を物見遊山の気分で訪れてほしくない。
せめて今しばらくは。
どうしてこんな気持になるのか自分でもわかりません。
東京駅をそのままに、といわれる奉天駅は「沈「こざとへん」に「日」站」
(英語:Shenyang Railway Station)と文字が変わっただけで昔のままでした。
満州医大は中国医大と表札が書き換えられただけ。
6年間学んだ平安小学校は 35年たった今、中学校になっていました。
私は、今はもう民家が建ち並んだわが家の家のあたりを、写真の中の亡き両親に見せて「さあ、これで思い残すことはないから、もう再び来ることはないだろう、と思いながら別れてきたわが故郷、いつまでもそのままであってほしい。