満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:55 万感の思いの朝日新聞瀋陽支局 「2006年74歳」
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満州引揚者:林 恭子:『縁と運」:55 万感の思いの朝日新聞瀋陽支局 「2006年74歳」
85歳の母親が書く、満州引揚者の半生
・母親が出版した「縁と運」の概略
(2013/8/1 初版)
朝日新聞の読者投稿欄の「ひととき」と「声」に投稿し、掲載された70編を「縁と運」と題して出版した。
本には、林恭子の生き方や思いが人生の縮図として描かれている。
・この本の問い合わせ
絶版につき受付終了
この本に関しては、私、林 宏(息子)に問い合わせて頂きたい。
連絡先(090・6613・4068)へ。
55 万感の思いの朝日新聞瀋陽支局 「2006年74歳」
3月14日の朝日新聞朝刊を見て驚きました。
中国遼寧省に15日付で「瀋陽支局を開設」というお知らせがあったからです。
瀋陽は私が、3歳から10年暮らした地です。
終戦の翌年に引き揚げました。
奉天、とつい言ってしまうのですが、との辺りに開設されたのでしょう。
私の記憶では、「奉天警察署」が左角にある十字路を右へ曲ると、「千代田小学校」があり、更に行けば、私が6年間学んだ「平安小学校」でした。
警察署の十字路を左折をすると現在「中国医大」があり、その外堀の真ん中付近がわが家でした。
引き上げ後3度目の家さがしで、ついに見つけました。
私と同じ年格好の女性と家族が住んでおられ、友達になりました。
終戦の年に入学した「朝日女学校」は、敗戦後、八路軍に占拠され、通学できなくなりました。
しかし翌年一月、授業を続けていた「浪速女学校」へ行き、先生から「歓喜の歌」を習いました。
この時から、35年後の暮れ、「安城市第九をうたう会」に参加し、生きている喜びを歌いました。
第二のふるさと、瀋陽、朝日新聞社旗が翻ると知って、万感の思いです。